赤絵【あかえ】
焼物(陶磁器)の模様で、赤い発色の釉薬で絵付けがされてあるものを指す。その他に、緑や青なども一緒に使われるが、あくまでも赤が基調の色として使われる。色絵、錦手などと言われることもある。酒井田柿右衛門の赤絵が有名。
朝茶事【あさちゃじ】
茶事七式のうちの一つで夏季の早朝に行われる茶事。 朝の6時頃を目安に行われる。 薄茶は続き薄茶約束である。
跡見の茶事【あとみのちゃじ】
茶事七式の一つ。 朝茶事、正午の茶事に呼ばれたが都合悪く参加できなかった客、あるいは呼ばれなかったがその茶席の見事さに一度拝見したいと思う者が、亭主に御願いをして同じ趣向で開いてもらう茶事のこと。 夜咄は遠慮するのが約束である。
有平糖【あるへいとう】 天正時代にキリスト教とともにもたらされた砂糖菓子。ポルトガル語で砂糖のことを「アルヘイトー」という。水飴に色などを付け様々な形に作り上げた飴細工のような干菓子のことを指す。
一重切り【いちじゅうぎり】
竹の花入れ。てっぺんに輪を残し、その直ぐ下に窓を切りとってある。花はこの窓のところに差す。(二重切り)
一休【いっきゅう】
一休宗純 臨済宗大徳寺派の僧。 とんちで有名なあの一休さんである。大徳寺47世住持として応仁の乱で戦災にあった大徳寺復興に努めた。名利を嫌い市中の庵などに住することが多かったという。
居前【いまえ】
お点前をするときの正しい座る位置を言う。風炉のときは、風炉敷板の八寸手前の畳中央。 炉の時は、炉縁の左手前角の内側に膝中心が向かうように斜めに座る。これを内隅ねらいという。(お点前によっては外隅ねらいもある) 居前を正す、とは点前座に座ってお点前を始める前に姿勢と気持ちを正すことを言う。
宇治茶【うじちゃ】
京都市近郊に位置する宇治市一帯で産する茶。中国から茶が渡来して間もない鎌倉前期から茶園が営まれており、碾茶を中心に産出された。
江戸時代は将軍家で消費するお茶として認定され、茶壷道中という習わしも生まれた。「ずいずいずっころばし」の唄はこれがモチーフになっている。現在でも、抹茶の詰め元が多く存在する。ただし、純粋に宇治で産する碾茶はほとんどなく、三重や愛知産の碾茶を使用している。
薄板【うすいた】
花入れの下に敷く板。漆で塗ってあり三種類の形があるが、それぞれに使い方の約束がある。 その一つは矢筈板。方形で板の縁が矢筈形になっており、古銅、磁器(青磁・染付など)等の真の花入れを載せる。次が蛤端(はまぐりば)。 方形で縁がまるみを帯びている板。 国内の焼き物のうち釉薬のかかっているもの(行の花入れ)を載せる。最後に円香台。 円形の板で釉薬のかかっていない焼き物、楽焼、竹の(草の)花入れを載せる。 なお、木地のままや焼杉の蛤端は草の花入れに用いる。 籠の花入れには薄板は用いない。
薄茶【うすちゃ】
抹茶の一種。 というより一般的に抹茶というとこの薄茶を指す。 一服は1.5g〜2gほどの抹茶に柄杓半分のお湯を加えて撹拌したもの。 濃茶
裏千家【うらせんけ】
三千家の一つ。 千利休の孫、宗旦が不審庵を息子宗左に譲り、裏に隠居処として庵をたてて移り住んだ。 このときもう一人の息子(宗旦の四男)宗室を伴ったのが裏千家の始まりである。爾来、茶道裏千家の流を継承し、現在は15代を数える。
枝炭【えだずみ】
主に躑躅(つつじ)などの小枝を炭にしたもので、表面に胡粉が塗ってある。
遠州七窯【えんしゅうなながま】
利休の教えもうけた小堀遠州は全国の窯業の開発改良も指導したが、中でも遠州が好んだ窯とされている。 志戸呂、膳所、上野、高取、朝日、古曽部、赤膚の七箇所である。 これを遠州七窯と呼ぶ。 ただし古曽部と伊賀が入れ替わった記載のある文書もあり、また、開業時期が時代的にあわない窯もあり真偽は定かではない。
大名物【おおめいぶつ】
松平不昧公が編んだ雲州名物帳でランク付けされた道具のうちでも最上位に位置する道具を言う。 とくに茶入れは有名である。その所持の伝来まで詳しく記されている。
大寄せの茶会【おおよせのちゃかい】
大勢の客を招いて開かれる茶会。 茶事は数名の予め決められた客を招いて催されるが、大寄せでは不特定多数の客に茶券を販売し茶を呈する。 最近の茶会はほとんどこの大寄せ茶会が一般的である。
織田有楽【おだうらく】
織田信長の弟で、本能寺の変後、出家して秀吉のお伽衆となったが、利休の高弟として、茶を修め、茶の湯巧者とされた。茶道有楽流を興した。(1547〜1621)
おもあい
一つの茶碗の薄茶を複数人で分け合ってのむこと。 転じて、一つのものを複数人で使ったり、拝見したりするときにも使用する。
主菓子【おもがし】
濃茶の時に席入りする前に(正式には懐石が終わった直後に)出される菓子。 蒸しものや練り物が多い。 いわゆる上生菓子と言われるものである。 ただし、大寄せの茶会などでは、薄茶の席で出される場合が多い。
表千家【おもてせんけ】
三千家のひとつ。 利休の孫宗旦が息子(三男)の宗左に家督(不審庵)を譲り、裏に隠居したことから始まる。 これによって不審庵を継いだ宗左を表千家、そして裏にたてた今日庵を継いだ宗室を裏千家と称するようになった。表千家は、当代で十四世を数える。
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