「新潟・木曽がむしゃら釣行記」の巻 その1


釣行日:2000年5月31日(水)〜1日(木)
天気:雨のち曇り
水温:13度 ほか




 「序の序」


綺麗な木曽のヤマトイワナ(ちぇるぃ氏撮影)

ことの発端は昨年9月のNIFTYの瀬音メンバーによる飯田万古川OLMに遡る。

その席で、中部や関東の仲間から、「ねえPLAさん、来年は木曽へいこうよぉ」「木曽は渓がいいですよぉ」「水が最高に綺麗なんだから」「ヤマトイワナが待ってるよぉ」と、耳元で次から次へと囁かれた....ような記憶がかすかに残っている。

いや、確かに囁かれた。 そして、いつしかそれはマインドコントロールのように私の心の奥襞深くへ浸透していったのだった.........。 

「本当の序」

記憶の奥深くにしまわれていたその呪縛は、今年の解禁を目前にして突然解き放たれた。

「未知との遭遇」のあのリチャード・ドレィファスが、何かに憑かれたように粘土で山を作り始め、訳もなくその山に惹かれていったように、私は、無性に木曽に行きたくなった。いや、行かなければならないという使命感に突き動かされた。
それが何故なのか、わからない。しかし、確かに木曽は私の心をしっかりと掴んで離さなかった。

山形から木曽は遠い。簡単に行けるところではない。
しかし、私の気持ちは何も知らない小娘がちょっと危ない男に心を奪われたかのように、木曽への思いが燃え上がる一方であった。

ついに私は決心をした。「よし、今年は木曽へ行くぞぉ!」

そう決めた私の行動は早かった。
仕事は遅いけど、遊ぶことにかけては迅速な行動力を持つ私である。

すぐに、「そうめにすと倶楽部」メンバーである山男魚さんに木曽OLMの企画と手配を頼み、続いて、おなじくメンバーである豊科のちぇるぃさんに木曽釣行のコーディネィトを御願いすることにした。 釣行日は6月2日。 この日に木曽の源流を目指すこととし、OLMはその翌日の6月3〜4日と決した。

かくして、私の木曽釣行計画は幕を開けたのである。

「It's very very far.」

遠い。木曽は本当に遠い。地図を見ながらそう思った。

うーむ、と長考一番。

「そうだ! 新潟に寄ろう!」

新潟には釣友であるShingoさんがいる。そこへ一泊お世話になってそれから木曽へ向かえばラクチンだ。 木曽釣行の前日6月1日は木曜日で、ラッキーなことにその木曜日はShingoさんのお休みの日である。 重ね重ねもおあつらえ向きの日程である。

「遊びの計画は迅速に」をモットーとする私は、すぐにShingoさんにその計画をメールした。

私の計画はこうである。水曜日にわが家を出発してShingoさん宅に一泊。木曜日(1日)に木曽釣行のウォーミングアップをかねてShingoさんと新潟の渓を堪能。その足で木曽に突撃というもの。

ツーと言えば、カーのShingoさんから早速OKの返事が入った。これで「往路」の計画は出来上がった。「復路」は、別に急ぐ旅でもないしどうにでもなる。というか、遊び終わった後のことまでは考えていられない。

「いざ!出発」

出発の日、水曜日は私の定休日である。ところがゆっくりと出発できると思っていたところに大きな落とし穴があった。

5月31日は月末だった。結局、零細経営者の私は、寅さんのタコ社長のように、出発当日まで忙しい思いをしなければならなかった。

請求書の発行や支払いの段取りを済ませ、万全を整えて、ようやくのこと5月31日午後3時過ぎ、愛車「青河馬号」はソロソロと寒河江を出発したのである。

途中、新潟の川などを眺めながら、新潟市内には午後7時に到着。今は携帯よりも便利なiモードのメールがある。途中でメールを送っておいたおかげでShingoさんは自宅前で待っていてくれた。

Shingoさんとは約9ヶ月ぶりの再会である。新潟の腕利きの歯医者さんで、何を隠そう私も診てもらっている。山形からわざわざ新潟へ歯を診てもらいに行っているなんて、なんかちょっと贅沢な気分。きわめてプチブルな私。

彼は私と同い年で、しかも同じく髭を蓄えている。違うのは彼はクラーク・ゲーブル似で、ハードかつ本格的な源流指向派であるのに対し、私は桑マン似のソフトかつ軟弱な源流指向派であるというところか。アハハ

さて、挨拶もそこそこにお風呂に入れてもらって運転疲れを癒し、早速夕食をご馳走になる。
わたしの密かな楽しみはShingoさんの奥様手作りの絶品ちゃんこ鍋。鍋料理なら何でも目のない私にはこの上もないもてなしである。おいしい鍋をつつきながら明日の釣行に話が弾むが、いつしか夜も更け、明朝4時出発を決めて23時過ぎに就寝。

なかなか寝付けなかったが、いつしかまどろんでいた。ふと目を覚ませば午前2時半。2時間ほど寝ただろうか。 起床予定までまだ1時間はあるが、もうワクワクして眠れない。まるで遠足前の小学生の気分。結局3時頃からゴソゴソと準備を始めてしまうオバカだった。

「新潟は雨だった」


右からShingoさん、小松さん、石原さん

今回はShingoさんの釣り仲間も同行してくれるという。午前4時に待ち合わせ場所へ向かって出発。その仲間は、小松さんと石原さん。Shingoさんと同じく歯医者さんで、大学病院に勤務しているとのこと。元気のいいお二人であった。

合流してから、曇り空の中を1時間ほど走って目的の渓へ。今年の新潟は、山形と同じく雪が多くてなかなか雪代が収まらないらしい。しかしこの川は昨日、私も車で通過する途中で状況を確認しながら来たが水量はおだやかで水も綺麗だった。

支度をしている途中で雨が降ってきた。天気予報では明け方まで雨が降るが、その後に上がるということだから問題はないだろう。入渓点までの杣道は雨に洗われた新緑が清々しい。足下には名も知らぬ草花が咲いている。そんな中をはやる気持ちを抑えながら歩く四人。

30分ほど歩いて川に降り立つと川面は靄で煙っていた。水量は平水より若干多めで、わずかに濁りが入っている。しかし底石はしっかり見えるし釣りには問題はない。二手に分かれて入ることにして、私とShingoさんは更に上流に杣道を辿った。

目的の場所に着いて早速毛鈎を振り始める。ここは昨年Shingoさんと入ってそこそこの釣果をあげているところだから大体のポイントは頭に入っているのだが、今回はどうも魚の反応は鈍い。まだ瀬には出ていないのだろうか。気分が萎えかけたそのとき、一匹の青虫が石の上に落ちているのを見つけた。そうだ!こいつ杣道にも一匹いたぞ!それを思い出した私は、今まで使っていたエルクヘアカディスから伝家の宝刀「ブナ虫PLAシュート」毛鈎に替えるのになんの躊躇もなかった。



雨に煙る川を遡行するShingoさん
気分を替え、ちょっとした深みの流芯にブナ虫PLAシュートを落としたそのとき、底からゆっくりとヤマメが浮かび上がってくるのが見えた。 きたっ! ヤマメが毛鈎をくわえるのを見届けてすかさずあわせる。どんぴしゃで、新潟での久しぶりの魚の感触を手に感じた。ようやく手にした釣果。これでボウズは免れた。その安心感とともに、ヤマメにいとおしさを感じる。やっぱり調子の悪いときの一匹は何とも言えず愛おしく嬉しいものである。

感謝を込め、流れにやさしくヤマメを返して先へ進むが、その後再び反応が無くなった。Shingoさんにも釣果はなく雨の中で苦労している。結局1時間ほどでこの川は諦めることに。小松さん、石原さんと合流して次の川に向かった。

次の川は私好みの小さな沢である。ただ上流でダム工事をしているのが気がかりだったが、行ってみれば水は意外に綺麗だった。沢のそばを林道が通っているし安楽な良い釣り場である。軟弱な源流派の私にはピッタリ。

雨がやや強くなってきた中、竿を振りはじめるとほどなく最初のヤマメが掛かった。幸先の良いスタートである。つづいてすかさずShingoさんもヤマメを上げる。8寸ほどの良い型だ。ところが、10分ほどで川に濁りが入ってきた。それもかなりの強い濁りである。時間は午前9時。どうやらダム工事が始まったらしい。これでは釣りにならない。後ろ髪を引かれる思いで竿をたたみ、再び別の川に向かうことにした。

「こりゃラッキーかも」

ところが、次に訪れたその川は雪代のためか水量が多く釣りにならず、三たび別の川へ。

ところが、ところが.....。 今度の川は、ここもまた濁りが入っていて涙をのむことに。恨めしいのはこの雨である。明け方で上がるっていってたのにぃ。ここで新潟の三人は鳩首会談し、大移動することになった。

なんと数えてみれば5本目の川である。私になんとか楽しい釣りをしてもらいたいという思いをひしひしと感じ、感激ひとしおである。なんか申し訳ないなぁ。

その川はゲートで閉められている林道を車止めまで3Kmほど歩かなければならないとのこと。その車止めから更に杣道を辿り続いて渓を遡行してやっとポイントの釣り場へたどり着くらしい。ところが行ってみればラッキーなことにゲートが開いていた。歩きを覚悟していた私は快適に林道を車に揺られて進むことが出来た。軟弱源流派の私にとってはこの上もない幸せである。なにが辛いって雨の中をテクテクと林道を歩くことほど辛いことはない。

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制作・著作 ikufu ikeda