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テンカラのテクニックが上達しない人や釣果が伸びない人は、得てして「テンカラは難しい」という先入観を持っていることが多い。そして自分の技術はまだまだ未熟だと思いこんでいる。 これはいけない。 テンカラは渓流釣りで最も釣れる釣りである。何故ならテンカラはもともと職漁師の釣りであった、と言うことがそれを雄弁に物語っている。 そしてテンカラは釣れるが故にどんな人でも比較的簡単に釣果をあげることが出来る釣りなのである。 いま、テンカラで迷っている方は、迷う必要などどこにもない。 そんな迷いなんかかなぐり捨て、もっと自信を持つべきである。 テンカラは釣れる釣りであって、迷い、悩む釣りではない。気持ちを楽に渓流に出かけてみよう。 ネガティブな思いこみや不必要な悩みは、テクニックの上達にとって「百害あって一利無し」である。釣果を伸ばす第一歩は「絶対釣れる」という信念を持つことなのだ。 2:消え炭にならないために あなたには釣りの師匠がいるだろう。もしかしたらビデオや本が師匠という人もいるかも知れない。いずれにしてもその師匠の教えることは、先輩として充分な経験や知識に裏打ちされた確かな情報や教えであるということだけは間違いない。あなたの師匠の教えることを忠実に守っていればそれなりに上達するはずである。 しかし、世の中は1+1が必ずしも2ではない。3のときもあれば1の時もある。つまり世の中、真理は一つだけとは限らないと言うことである。それが世の中だ。 私は茶の湯を好む。わび茶の祖千利休はこう歌に詠んでいる。 「炭置くは たとへ習ひにそむくとも 湯のよくたぎる 炭は炭なり」 茶の湯では炉に炭をつぐ方法(炭の寸法から並べ方まで)が厳しく決められている。しかし利休は、その教えを忠実に守って炭をついでも火付きが悪くて炭が消えてしまい湯が沸かないよりは、少しぐらい教えから外れていても湯がよく沸くようについだ方が客をもてなす心にかなっている、という意味である。 これをテンカラに置き換えて考えるとすればこうなる。 あなたの師匠がいくら頑張って有益なことを教えててくれたとしても、あなた自身の釣果が伸びないのでは、それは消えた炭と同じことなのである。 それならば、その教えの視点を少しずらしてでもあなたのやりやすいようにやって釣果を伸ばした方がずっと楽しいではないか。 楽しんでこそ釣りである。 そしてまた、こうして自分にあったスタイルを見つけだしていくことが、テンカラは十人十色、テンカラ師が十人寄れば十通りの釣り方があると言われるゆえんであろう。 3:本質を見失わぬように ただし、間違ってはいけない。あなたの師匠の教えを守る必要がないとか、自分勝手にやればいいと言っているのではない。むしろ、その教えをよく理解した上で、冒険をしてみては?、と言っているのである。 そこをよく理解してほしい。 つまり、渓流釣りの基本やセオリーを無視して自分勝手に適当にやっても、絶対に釣れない。 もちろんたまにはまぐれもあるだろうが、それは珍しいことであって、釣れないのが本当である。 テンカラや渓流に対しての基本的スタンスや師匠の教えは絶対に崩してはいけない。まずそれを肝に銘じてからこの書を読んでいただきたい。 私の師匠(都筑師匠)は、皆さんもご存じのようにテクニックもさることながら釣りに対しては厳しい人である。いうならば求道者的な釣り人である。その言わんとしているところ、目指すところは大いに理解できるし心から尊敬している。しかし、問題は、この私自身の実際のテクニックがそれについていけないということである。はっきり言って、いつまでたっても下手くそな不肖の弟子なのだ。 そこで不肖の弟子は考えたわけである。 釣りに対する本質的なもの、言い換えればテンカラの基本的な考え方は変えずに、その釣り方だけを自分(のレベル)にあった方法に変えられないか、ということを。 この書では今私が実践している釣法の紹介を通して、皆さんが各自で自分のスタイルを考えていく上での一助になればという思いをこめてある。 なんらかの参考になれば幸いであるし、いつの日か、あなたの腕が上達し、師匠の教えが実践できるようになったとき、その時こそ改めて師匠の教えを試して見るときだと思う。 4:何がネックか テンカラは伝承毛バリと言われる順毛バリや逆さ毛バリを使う。バリエーションは数限りなく、それこそテンカラ人口の数ほどあるだろう。しかし総じて言えば伝承のテンカラ毛バリはウエットフライである。つまり、わずかに沈めて水面直下を流して釣る釣り方である。 ところがこれが初心者にはつらい。振った毛バリがどこを流れているかわからないからだ。それなりのテクニックを持っている人ならば、自分の毛バリがどこへ飛んでいるかがわかるから、沈んだ毛バリの周辺の魚の反応を見てアワセることができる。 しかし、初心者はラインの飛ばし方も一定ではないため、魚の反応を見るどころか、どこに毛バリが飛んでいるのかさえ見当が付けられない。これがテンカラのテクニック向上の大きな壁と言っていい。 それでは、毛バリに魚が反応して出てきたものを見て掛けるというテンカラ独特の楽しみを味わう余裕などどこにもなくなってしまう。どうしたって手に伝わるアタリでしか魚をあげることが出来ない。まるで餌釣りと同じである。 それではテンカラ釣りの楽しさの80%を捨てていると言っても過言ではない。テンカラにしろフライフィッシングにしろ、毛鈎釣りの醍醐味は、魚が毛バリに食いつく瞬間を見て掛けること、である。 毛バリに魚がライズした瞬間は、たとえそれが針に掛からなくても、かなりドキッとする。 その瞬間の快感を感じたくてテンカラをやっていると言っても過言ではない。 5:ということで結論 では、どうするか。答えは簡単である。浮く毛バリ、いわゆるドライフライを使えばいいのだ。 テンカラだからといって伝承毛バリやウエット毛バリにこだわる必要などどこにもない。どんなときでも言えることだが、それを楽しむためには自分にとって一番「楽な方法」をとるのが最善の選択肢である。テンカラにおいても、毛バリが見えないのなら浮かせて見える毛バリを使う、これは至極当然の帰結であろう。 確かに魚の警戒心を考えれば水面に浮いているものより水中にある毛バリの方が有利である。これはよくわかるし、それがテンカラである。しかし、釣果は少し落ちるとしても、釣って楽しい釣りをする方が面白い。 ドライフライならば水面に浮いた毛バリはどんな人でも見失う事はない。そしてその毛バリに魚が食いついた瞬間を目の当たりにすることが出来る。これほどエキサイティングなものはない。 ラインの飛ばし方に悩む前に、とにかく自分がポイントだと思ったところにドライフライを落とす。流れに乗せる。ただそれだけでいい。そこに魚がいれば六割は第一投目で出てくる。 なんとも乱暴な言い方かも知れないが、そんな風に割り切ると、今までとは違ったテンカラの楽しさが見えてくる。 流れていく毛バリ。飛びつく魚。 テンカラなんてそんなもの。なんにも難しくはない。 さぁ、気楽に、気楽に。 自信を持って渓流に飛び出そう。 6:補足 何度も申し上げるが、テンカラにはいろんな人それぞれのスタイルがある。 おかげで、遅アワセがいいとか、早アワセがいいとか、でかい毛バリが良い、いや小さい毛バリが有利だ、という諸説が入り乱れており、そのどれもが説得力がありうなずける説ばかりである。 逆に言えば、テンカラは自分の工夫次第で自分独自のスタイルを作りあげることが可能な釣りだと言ってもよいかもしれない。 現に、ここに書いている私の釣り方だって、ある人には邪道に映るかも知れないし、またある人にとっては目から鱗を落とすことになるかもしれない。 しかし、私はそれで良いと思っている。あくまでも私が自分のために考え出した私自身の釣り方(スタイル)だからである。 だから、これを皆さんに強制するつもりはないし、これ以外は釣れないなどというわけではない。 「あぁコイツはこんな釣り方をしてるのか」....そんな感覚で読んでいただければ結構である。 ただ望むことは、この書を一つの参考にして、自分なりのスタイルを作り上げて欲しいということである。 |